気の持ちよう、とは。
敵を敵と認識するのは自分なのだから、自分を害するものを作るのは自分自身なのではないだろうか。
と、思うとなんだか誰をも愛せそうな気がする都合の良い頭のつくり。
こんばんは、ツキコです。
久しく会っていなかった親友とお出かけしていまして、普段よりも遅めの更新と相成りましたが如何お過ごしですか。
私はうっかりお夕飯を頂きすぎまして、まさかの「食べ過ぎで寝込む」という恥ずかしい試練を終えたところでございます。
さて、冒頭のちょっとした名言(というより深夜のラブレターっぽさを感じる迷言って感じですね)は、私が常日頃イラッとしたときに内心呟く言葉です。
「この人は敵じゃないぞー実は優しいところもあったりするんだぞー」
人間誰しも、怒ると疲れるじゃないですか。
私は元々効率重視なところがあって、せっかちなんですよ。
人の行動にやきもきもやもやして、元々強くない胃がきりきりすることも多かったんです。いやはやお恥ずかしい。反抗期だったのかしら。
聖人ではないので、「すべてのひとに感謝しますアーメンアーメン」なんて、欠片も思っていませんけれども。
他人を敵だ、と思うよりも、味方だ、と思った方が、案外世界は平和に回っていくものなんだな、と、思うことが多かったので、今では心掛けています。
世界のためでも、誰かのためでもなく、自分のために。このブログのように。
だっていらいらすると肌荒れるんだもの。いやほんとに。
今日は大好きな友人と沢山お話して、ケーキも食べて幸せでした。
帰りの電車で私の足を思いきり踏んだのに一切顔も見ずに逃げていった男性も、家に帰れば病気がちなお母さんの為にバイトに明け暮れ妹の面倒をみつつ幼馴染に十年くらい片想いしているんだと思えば!人類!みんな家族!!
足がいたい!
…ではでは、今日はこれにて。